ラベリング理論について(その2)・・・否定的なレッテルを回避する行動

偏見-イメージ写真

先日のブログで「ラベリング理論」について記しました。ラベリング理論とは、「レッテルは社会的に作られる」面があることを解明した社会学の理論です。

さて、一つの現象を見る場合にも、様々な側面が存在します。よって、ひとつの事象であっても、様々な立場や角度から見なければ全体像を浮かび上がらせることができません。

レッテルは、ある時に研究者や評論家によって提唱され、時の社会体制にとって都合のいいもの、企業や政治的多数派にとって都合のいいものはマスメディアによって一気に拡散されます。そして、人々の間にレッテルに付随するイメージとともに定着します。

一方で、レッテルを貼られた者やレッテルを貼られそうになった者はどうするのでしょうか。ある者はレッテルを受け入れ、アイデンティティとするでしょう。そして、ある者はレッテルを回避する行動に出ようとします。

レッテルに付随するイメージの中で否定的な内容が多ければ多いほど、レッテルを回避しようとする者が増えます。そして、その行動や言動によって、レッテルの内容がより強化されるようになります。
なぜなら、レッテルを回避する際に、そのレッテルと自分が違うことを強烈に主張するようになることが多いからです。
このことは、「同性愛者」と疑いをかけられた人がムキになって否定する場面を想像すると分かりやすいと思います。

ところで、社会批評や政治を論ずる種類のブログで「陰謀論」と呼ばれているものがあります。
テレビのバラエティー番組でお笑いタレントが好奇心を煽る感じで取り上げています。あるいは、「陰謀論者」とされる人の書いた本やブログを読んだことのある人も多いのではないかと思います。

「陰謀論」とレッテルがつけられいる内容を扱うと「陰謀論者」というレッテルが他者から貼られます。そして、それには、テレビのバラエティー番組や著名な「陰謀論者」のイメージがステレオタイプとして付けられます。

よって、「真面目」を自認する政治家・社会評論家・ジャーナリストなどは「陰謀論」のレッテルを避けようとします。
「このブログは真面目なブログであって陰謀論ではありません」と主張しているブログも複数存在しています。

しかし、「陰謀論」とされる種類の文章は、既存の政治学・社会学の延長であることが多いのです。

主流とみなされる学者でも、アントニオ・ネグリの「帝国」概念や、ピエール・ブルデューのグローバリズム批判は「陰謀論」との接点だと思います。
あるいは、『戦後史の正体 1945-2012』(孫崎享著,2012年,創元社)は、場合によっては「陰謀論」と見なされる内容です。

したがって、レッテルに惑わされるのではなく、内容で見る必要があると思います。

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