オールド左翼・アナーキスト+パンクス・ヒッピー・陰謀論・貧乏論について

オールド左翼・アナーキスト+パンクス・ヒッピー・陰謀論・貧乏論、これらの経験があるのは恐らく私くらいだろうと思います。

これを土台にするとコンテンツを提供できそうです。

ただし、勢いに任せて文章を書くと全ての批判になってしまう可能性があります。こっちに走ってしまうと、「他は間違っている」と言い立てている印象が強くなり、あまり建設的でありません。

どれもある程度役に立っているのは事実です。しかし、どこにも属していないのは、何かしらの限界や問題点を感じたからです。

私にとって最も良かったのはヒッピー系です。「系」と書くのは、今やヒッピーは「いない」ような状態だからです。今の若い人たちは気張らずに自然体にやっています。見た目も洗練されていて、他から見て受け入れ難いようなことも少ないです。

ですから、「自然の中で仲間と助け合いながら自由に生きる」のコンセプトは同じながら、現在、そうしたライフスタイルを送っている人たちをヒッピーと呼んでしまうこと、定義づけることには抵抗感があります。

今やヒッピー系の文化や思想を背景に持つ地方議員も誕生しています。ロックやフォークも「不良の音楽」「退廃的な音楽」ではなく、一般的なものになっています。田舎で農業をやっている若者、元若者の間でもロックバンドを作ったりしているので、もう区別は無くなっているのかも知れません。

ただし、昔からのヒッピーの流れをくむ「まつり」は今でも続いています。そして、そこには60年代・70年代からのオールドヒッピーも参加しているので、世代間の意思を継承する場になっています。

「陰謀論」について記します。「陰謀論」とはJFK暗殺の疑念が沸き起こり、追及しようとする人が後を絶たなかった頃に、そうした人に対してCIAがレッテルを貼り、メディアで宣伝した用語です。否定的なレッテルを貼ることによって、「まともではない」のイメージを植え付け、社会から排除することが可能になります。

最近、「陰謀論」を「都市伝説」と名付け、お笑いタレントを配してエンターテインメントとする風潮があります。これも「陰謀論」をエンターテインメントに陥れ、世の中の深層を追及しようとするジャーナリストや作家・評論家まで同列に扱う流れを作り出そうとする意図が働いているように思います。

ですから、「陰謀論」のレッテルに囚われず、色眼鏡をかけずに見ていくことが重要なように思います。例えば、一時期は「陰謀論」と見なされていた「トンキン湾事件」が実際にアメリカ軍の陰謀だったことが後に明らかになっています。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%83%B3%E3%82%AD%E3%83%B3%E6%B9%BE%E4%BA%8B%E4%BB%B6

「トンキン湾事件」を分かりやすい例として、一時期は陰謀論扱いだったのが、今や陰謀論とは呼べない事柄があります。例えば、「グローバル企業による世界支配」「アメリカ軍産複合体」「通貨発行権」「1%の支配者層と99%の一般大衆」に関しては、正統派の学者でも論文を発表していたりする事実があります。

「あれは陰謀論だ」と、見たくない・聞きたくない事項にレッテルを張るのは簡単です。しかし、レッテルに囚われることが視野を狭くし、他との壁を作ってしまう結果を招きます。これこそが支配者層の術中にハマることではないでしょうか。

そして、楽しかったのは「貧乏論」の界隈です。これは具体的に言えば「素人の乱」や「だめ連」が代表的です。有名な人物を挙げれば、松本哉・雨宮処凛・鶴見済(敬称略)でしょうか。一言で言ってしまえば、「貧乏でも開き直って楽しく生きる」ための実践と思想です。

筑摩書房 貧乏人の逆襲! 松本哉
各地で過激な貧乏人イベントを展開している松本哉がついに本を出した! 刊行を記念して雨宮処凛、鶴見済と語り合うページ

私は今でも「貧乏論」の界隈に行くことがあります。「だめでいいじゃないか」と言い切ってしまうのは爽快感があります。ただ、それだけでも限界があるので突き抜けていきたいと私は思っています。

ある「呼び名」があるとしましょう。これに「スタイル」「思想・信念」がパッケージになっています。このことをコミカルに描いた動画があるので紹介します。

例えば、主に陰謀論コミュニティと接していて、有名陰謀論者のセミナーをセッセと聞きに行くとしましょう。そうすると、他の領域にいる人の話が全て嘘のように聞こえてくるので、関わり合いを持たなくなります。これは貧乏論やオールド左翼にも言えることです。