用語の定義(意味)を巡って

言葉のイメージ写真

最近、このようなことがありました。
友人と「ヒーリング」について話していて、話が進むほど相互のイメージに溝ができ、対立が深まりました。
理由は、「精神世界」の定義やイメージを確認しないまま、「ヒーリング」を「精神世界」に含めて話をしていたからです。

私は「精神世界」という言葉を「人間の精神的・心理的活動の総体で、伝統的な宗教や思想に当てはまらないもの」の意味で使っていました。つまり、ヒーリングや気功、ヨーガや瞑想をひっくるめた訳です。
ところが、「精神世界」を最も狭く定義づけると「ニューエイジ」という1970年代後半からアメリカで発祥したムーブメントになります。

書店の分類では、「思想・哲学・占い」など既存の分類に入らないものが「精神世界」に分類されることが多いです。しかし、現代語辞書の類を見ると「ニューエイジ」とイコールの書き方をしていることが多いです。

そして、ネットを調べてみると、私がイメージしたことに一致した言葉は「スピリチュアリティ」でした。こちらの用法であれば、宗教だけでなく、社会学・文化人類学・心理学でも使うし、QOL(quality of life)・医療・終末医療でも使われています。
最近では、主流の学問でも、「人間には精神的な面がある」ことを重視する流れがあります。

ただし、「スピリチュアリティ」は日本では馴染みが薄く、「スピリチュアル」と言ったほうが馴染みがあります。ただし、こちらは商業的な「スピリチュアル」を連想する人が多いかも知れません。

この「スピリチュアリティ」の訳語としては、先に挙げた「精神世界」以外では「霊性」と「精神性」「宗教的」があります。

ただし、「霊性」と言えば、心霊現象や霊魂のイメージと結びつくし、「精神性」と言えば、努力や根性と言った「スポーツ根性もの」の漫画を連想する人もいるでしょう。「宗教的」と言えば、黙祷や祈りのようなイメージが結びつきます。

※困ったことに、「スピリチュアリティ」の訳語に「精神世界」を採用した場合、「ニューエイジ」と取られる場合がある訳です。

ですから、イメージが限定されることを避ける意味で、あえてカタカナで言っている節があります。

人によって日常接している社会が異なっているのは当然ですし、社会階層によって文化が異なります。よって同じ言葉を使っても「言葉の背後にあるイメージ」に相違が出てきます。恐らく、人と人の間の対立のかなりの部分は「使用している言葉のイメージ」が異なり、意思の伝達に障害が起こっていることに由来するのかも知れません。

論文では、特に社会学や文化人類学の場合、前置きに用語の定義を厳密にして、それから論述に入るスタイルを取ることが多いです。
「人によって同じ言葉でも意味の解釈が違う場合がある」ことを前提にする必要があると思います。

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